4.保育園は「昼間のおうち」

フィンランド在住16年。移住した当初は挨拶ぐらいしかできなかったフィンランド語を学び始めてすぐ好きになったフィンランド語は、「Päiväkoti パイヴァコティ」。Päiväとは「一日」や「昼」に相当する言葉で、kotiとは「家」、合わせて「保育園」のことです。移住当初は7カ月だった長男が2歳になって通うようになった保育園は、のちに次男も「おうちえん」と呼ぶぐらい、私たちに身近な存在でした。
靴家さちこ 2020.11.11
誰でも
Photo:Maiko Kano

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どんな「おうち」なのか?

 フィンランドに移住してきた2004年。雪解けを待ち、10か月になった長男と一緒に当時住んでいたケラヴァの公園に出かけるようになりました。フィンランド語ができないまま、遊具のある場所は公園だと思い込み、ある時は保育園の庭、ある時は集合住宅専用の遊び場に突入し、なんとか公園を見つけて入ってみても誰もいなかったり。やがて地元の子育て母子が多く通う児童館の庭を探り当て、やっとのことで顔なじみのフィンランド人母子数名と知り合うことができましたが、子ども達が2歳になる頃には職場復帰し、交流が途絶えてしまいました。

 日本で仕事を辞めて来てしまい、フィンランド語もできない私に就職など遠い夢でしたし、元夫はフィンランド以外にも家族で英語圏に住むことも考えていたので、長男を公立の保育園に通わせることに関しては躊躇するところもありましたが、当時まもなく2歳の長男が身に着けていた言葉は「オープン(Open)」「クローズド(Closed)」「おーわーい(おわり) 」のみ。長男が楽しくフィンランド語と社会性を身につけ、私がフィンランド語を習いに行けるようになるためにも、私は元夫に長男の保育園通いを強く希望しました。

 かくして長男が通うようになった近所の公立の保育園では、ところどころ出てこない英単語に自分で大爆笑する明るい先生が、優しく迎えてくれました。長男のクラスには2~4歳児が15人いて、そこに幼稚園教諭が一人と保育士が二人とさらにアシスタントが一人いました。教室は、給食を食べるメインの部屋と、お昼寝用の部屋と遊び部屋と3つもあります。フィンランドの保育園では、このような少人数制のクラスで広々とした間取りが一般的で、本当に誰かのおうちのようです。

 先生とはさらに、長男は保育園でお昼寝をしてもいいか、ビデオを見せても構わないか、宗教上参加させられない行事、アレルギーなどで気を付けるべき食べ物は無いかと面談し、保育時間は最も一般的な朝8時から午後4時までとし、慣らし保育の仕方も打ち合わせしました。最初の一週間は午前中だけにして、ママも一緒に園内で過ごし、それから徐々に時間を増やしていきましょうと。このような慣らし保育のやり方も含めて、子どもの個性や需要に合わせてフィンランドの保育園は柔軟に個別対応をし、多様性を認めています。必要なものはオムツと外遊び用の服と着替えと上履きだけ。私は帰り道にさっそくウキウキ買い物に出かけたのでした。

Photo:Maiko Kano

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福祉国家の歴史の一部

 フィンランドで「Päiväkoti パイヴァコティ」という名称が一般化したのは、「児童保育法」が1973年に制定された時。それまでは、ドイツから幼稚園のコンセプトが到来したフィンランドでは、貧困家庭の子ども達を対象に、1888年にヘルシンキで初めての幼稚園が設立され、1913年からは幼稚園への国庫補助が始まりました。1936年に「児童福祉法」が施行されてからは幼稚園の管轄が地方自治体に移り、必要があれば保育施設を設立維持することを地方自治体に求めることができるようになりました。

 「児童保育法」は1970年代の最も重要な家族政策改革ともいわれ、1950~70年代のフィンランドの高福祉国家としての基礎形成時、とりわけ1960以降に男女平等社会に向けて様々な制度を整備する中で、急激に女性の社会進出に後押しされてできました。ヘルシンキの国会前ではベビーカーを押す女性たちの「公立保育園の増設」を訴えるデモが開かれ、法の施行後は保育施設の数が倍増しました。

 現在では、保育園は4カ月前までに申し込む必要があるので、育休が終わる1歳ぐらいまでの入園を狙い、子どもが9カ月の頃に希望する園を記入した申請書を自治体に提出する人が多いです。一方、親が急に復職や復学、就職や就学しなければならない場合には、自治体が申請後14日以内に子どもの保育先を確保する義務を負います。保育料は親の収入に応じて決まり、首都ヘルシンキでも上限は289ユーロ、両親合わせての収入が3000ユーロ以下の低収入、もしくは無収入であれば無料です(2020年11月調べ)。

Photo:Maiko Kano

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フィンランド人が「保育」に望むことと「新しい時代」の保育

 長男が保育園に通い始めた15年前は、「子どもの仕事は遊ぶこと」だといわれ、6歳になってプリスクールに通うまでは、数字もアルファベットも教えこむべきではないという風潮がありました。「子どもが子どもらしくいられる時期は短いので、子どもらしくいさせてあげるべき」という声が主流で、小さな天才を作ろうとするアメリカ式の早期教育を嫌う声もよく聞きました。実際にフィンランドの幼児教育は、フレーベルやモンテッソーリの影響を強く受けており、子どもたちの知的興味が敏感になる年齢やタイミングを重視しています。例えば今でもアルファベットや数字などを覚えさせるのは、就学前教育が始まる6歳まで待ち、それ以下の年齢のクラスでは壁に飾るのみにし、興味を示す子がいたら個別に教えます。

 長男の時は日本的な価値観で、同年代の子ども達に遅れをとらないように入園を急いだ私でしたが、もっと幅広く視野を広げれば、子どもの年齢ではなく、性格や発育に合わせて判断する親も多いことが後でわかりました。それを参考に、言語障害の療育が2歳で始まった次男に関しては3歳半でやっと保育園デビューを果たしています。

 次男の保育園時代には、まず彼が入ったクラスが何らかの障害がある子どもと健常児が混在するインテグレーションクラスであり、他のクラスや保育園でもリソースが許す限り、一人は障害児も受け入れるなど、子ども達の包括的な成長を主眼に入れた新しい時代の保育が始まっていました。言葉の理解が弱く、独特な発話をする次男には専属のアシスタントつき、ネイルアートにつけまつ毛とおしゃれな初代アシスタントは、自由でマイペースな次男について回って、時には本気で叱ってくれました。保護者面談では、叱られた時に涙を我慢する次男の様子まで、リアルに教えてくれました。二代目のアシスタントも、彼独自の言語を一つひとつ解明して学び、美容院に行った次の日に次男が「スタイリッシュだね」とほめるほどまでの仲良しになりました。

 実は次男のみならず、長男も卒園するまで言語や発達が順調では無かったので、慣らし保育以外にも何度も出入りしていた保育園は、私自身にもフィンランドの保育や育児を学ぶ機会を提供してくれるオープンハウスのような場所でもありました。実の親にもできないサポートをしてくれたアシスタントに救われた私は、後に次の誰かのお子さんの力になることを志し、「Lähihoitajaラヒホイタヤ=そばで面倒を見る人」という、社会福祉の総合資格の取得するまでに至っています。この話は、またいつかゆっくりいたしますね。

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