31. フィンランドは戦争に近い国?
ロシアのウクライナ侵攻が何を変えたか(vol.1)

今年の2月下旬、かれこれ2年以上続くコロナ禍にも慣れた頃、私は夏に日本に帰省することを決めました。去年や一昨年のように、春が来て夏が来ればウイルスもなりをひそめ、私たちはきっと無事に日本の家族たちと会える。ダメなら出発日を変えればいい。覚悟を決めて航空券を買ってしまうと全身の力が抜けました。あとは健康管理さえしっかりすれば――そんな思いを微塵に砕いたのが2月24日に始まったウクライナ侵攻でした。
靴家さちこ 2022.09.19
誰でも

フィンランドの春は、春といってもすっきりしない天気が続いたり、鋭角に差し込む光はまぶしいだけで温かくはなく、雪もなかなかとけません。とけるどころか「もうさすがに無いだろう」というタイミングで降ったりするので、私にとってはそれほど待ち遠しくもない季節です。しかしコロナは、わずかばかりの気温の上昇でも、ウイルスがおとしくなるありがたい現象なのだと教えてくれました。

2月24日の記者会見で「国民が怯えるのは無理もない」「フィンランドに直接の脅威は無いが影響はある」と国民の気持ちに寄り添ったサウリ・ニーニスト大統領と、「フィンランドはEUの対ロ経済制裁に加わり、ウクライナに金銭的、物資的な支援を開始する」と毅然とした態度を見せたサンナ・マリン首相 © Lauri Heikkinen | valtioneuvoston kanslia

2月24日の記者会見で「国民が怯えるのは無理もない」「フィンランドに直接の脅威は無いが影響はある」と国民の気持ちに寄り添ったサウリ・ニーニスト大統領と、「フィンランドはEUの対ロ経済制裁に加わり、ウクライナに金銭的、物資的な支援を開始する」と毅然とした態度を見せたサンナ・マリン首相 © Lauri Heikkinen | valtioneuvoston kanslia

2月24日のことは、もう覚えていません。スマホから飛び込んでくる文字が嫌でもこの戦争の始まりを伝えてきたのに、ニュースをつけてもテレビ画面の向こうと自分との距離が縮まることはありませんでした。長らく続いたコロナ禍の時もそうでしたが、ネガティブなニュースは無意識に自分から遠ざけてしまうことで自分の心を守るやり方に慣れてしまっているようでした。

そんな私でもロシア上空を経由する日本へのフライトに影響が出そうなことぐらいはすぐにわかりました。「また日本に行けなくなるかも」とつぶやいた時、戦争はパンデミック中でも待ったなしなのだと悟りました。コロナと戦いながら世界は一つに結束など……全然していなかったわけです。

結局、通常より3~4時間長くかけてロシア上空を回避するルートで6月には日本に帰省することができた。

結局、通常より3~4時間長くかけてロシア上空を回避するルートで6月には日本に帰省することができた。

風邪症状で病欠していた自閉症障害者ホームに久しぶりに出勤した3月2日。上司が「ちょっとガソリンの値段見た?」と叫びながら出勤してきました。レギュラーがリットル当たり2ユーロを越えたというのです。「電気も食料品も、特に小麦粉の値段が上がればパンの値段も上がるわ!」とまくしたてながら、目鼻立ちがはっきりしている彼女の目がカッと見開いているのを見て、私も目が覚めました。

常にリソース不足で忙しいソーシャルヘルスケア業界ということもあって、職場で同僚たちと、始まってしまった戦争について話し合う時間はほとんどありません。それでも一度だけ「この先どうなるの?」という話題で盛り上がった時、もうすぐ定年の高齢指導員が「ロシア国民だってバカじゃない。そのうちプーチンを引きずり降ろして終わりにするだろう」と吐き捨て「こんなの持っても2週間だ」と言い放ったのには、すがりつきたい気持ちになりました。

それが、実際には2週間どころか長引くにつれ、今度は私のライター業務にロシアの隣国という視点でフィンランドからウクライナ情勢についての執筆や、テレビインタビューの案件が入ってくるようになりました。これもまた皮肉なことに、これまで「西はスウェーデン、東はロシアと国境を接する」という枕詞でフィンランドを書いてきた身として痛いほどわかっているはずなのに、改めてフィンランドが「1300キロも国境を接するロシアの隣国」だという理由で仕事を受けるとなると、ますますその言葉が表すものの現実が目の前に突き付けられました。「なるほど、今、フィンランドは戦争に一番近い国として注目を集めているのだな」と。

ロシアがウクライナと戦争を始めたことで、フィンランドが変わる。ではどう変わっていくのか。ちょうど話が聞きたいと思った頃にメッセージをくれたフィンランド人の友達は、ラッペーンランタという東のロシアとの国境沿いの都市出身の人で、彼女は「もう怖いからニュースは見てない」と書いてきました。コロナといい、ウクライナ情勢といい、やはり積極的にニュースを追えない私は「類は友を呼ぶ」とつぶやいてちょっと安堵してしまいました。このような非常時でもきちんとニュースを見ないなど、責任ある大人としてどうなのかという後ろめたさも抱えていたので。

ニュースよりもリアルな日常との接点である職場では、兵役を終えてもしばらく軍隊学校に通っていた経験がある海坊主のようにガタイの良い同僚が「昔の友達で早速志願兵になったヤツがいる」と話していました。テレビからマリン首相がNATO加盟を躊躇しているというニュースが流れていた時「何やってんだこの〇✖△◆※!!」と坊主頭をピンク色にして怒りだすなど、彼は今の国際情勢と政治に目いっぱい関心があるようです。それでも女性の方が圧倒的に多い私の職場では、彼以外に軍事的なことまで口角泡を飛ばして熱くなる人はいません。

4月8日にフィンランド国会にもオンライン演説をしたウクライナのゼレンスキー大統領は、「日本はロシアの外交官を追放し、ロシアの石炭の輸入を停止する」と言及。「彼ら(ロシア)はあなた方に同じことをする。あなた方にはブチャの住民虐殺のような経験をしてい欲しくない」と訴えかけた。 「もしロシア軍があなたの国を攻撃する命令を受けた場合、どのようなことになるか、もう十分ご承知のことと思います」など、雄弁かつ流ちょうな英語でフィンランド人議員たちの心をゆり動かした

4月8日にフィンランド国会にもオンライン演説をしたウクライナのゼレンスキー大統領は、「日本はロシアの外交官を追放し、ロシアの石炭の輸入を停止する」と言及。「彼ら(ロシア)はあなた方に同じことをする。あなた方にはブチャの住民虐殺のような経験をしてい欲しくない」と訴えかけた。 「もしロシア軍があなたの国を攻撃する命令を受けた場合、どのようなことになるか、もう十分ご承知のことと思います」など、雄弁かつ流ちょうな英語でフィンランド人議員たちの心をゆり動かした

私の目にはフィンランド人よりも、旧ソ連時代の経験があるロシア語系のエストニア人の方がセンシティブに反応しているように映りました。そのうちの一人はある日、家で夫と喧嘩したと目をはらして出勤してきました。「ウクライナのニュースを見ていると気分が落ち込むみたいで、よく眠れないらしいのよ」という彼女の夫もロシア語話者のエストニア人で旧ソ連時代の暗い思い出を引きずっています。

もう一人はかつてサンクトペテルブルクに旅行した時のことをふりかえり「経済制裁をしたところでロシアは痛くもかゆくもない。値段が跳ね上がって痛い思いをするのはフィンランドの方よ」と熱弁していました。冷静に時代をふりかえり分析する彼女ではありますが、ふとした時にソ連時代の貧しい時の想い出も聞かせてくれます。それは例えば、

「夏休みは暇だからベリーを摘んできて、お砂糖が無いから砂糖なしのベリーパイをママが焼いてくれたんだけど、それが美味しくて」

「パンを買いに並ぶ時はおばあちゃんが私も連れていって『お腹を空かせた子どもがいるんだよ!』って叫ぶと前に入れてもらえたの」

「トイレットペーパーが無かったから葉っぱを揉んで柔らかくして使うのよ」

といった、石油ショックの時に姉の手を引き、私をおぶって並んでトイレットペーパーを確保した母の話など吹いて飛ぶようなエピソードの数々でした。

そのうちフィンランド人の同僚が休憩しに寄ってきて「でも戦争には反対よ。経済制裁も今すぐに効果が無くてもいずれ効くんじゃないかな」と反論し、「でも仕事に関してはこの業界であぶれることは無いわね」と前向き発言をしたところに、エストニア人の同僚が「でも、物価が上がっても私達の給料は上がらないのよ」と被せました。こればかりはどうしょうもないので3人で顔を見合わせてヘッヘッヘッと笑ってしまいました。

こんな風に国籍まぜこぜで和やかに談笑ができる職場でもあるのですが、やはり現地人と外国人の溝が無いと言ったら嘘で、小さな偏見や差別もあります。ウクライナ侵攻後、職場のエストニア人がエストニア語話者ではなく、ロシア語話者なので気になっていたのですが、やはり影響がありました。例えば、新入りのフィンランド人に、ロシア語を話すのでロシア人と勘違いされた同僚が「エストニア人です」と訂正する時の声のトーンや速さなど。そしてエストニア人の同僚たちがいない時に、彼女たちのことを「あのロシア人」と表現するフィンランド人の同僚の表情やそこに含まれたニュアンスなども。

Google mapsより:フィンランドより南に続くエストニア、ラトビアなど旧ソ連圏の国々

Google mapsより:フィンランドより南に続くエストニア、ラトビアなど旧ソ連圏の国々

ちょうどフィンランド人よりも旧ソ連圏の国の人の方が反応が気になり始めた頃、久しぶりに近所のラトビア人とワインを飲むことになりました。元フィンランド人と結婚していたシングルマザーとして同志でもある彼女は、ワインボトルをどんとテーブルに下すなり「チョットやってらんないんだけど、なにこれ?!」の第一声を放ちました。「私はねぇ、旧ソ連圏の国の出身者としては、今回のこのウクライナ侵攻って他人事じゃないのよッ!」……やっぱりなぁ。

大手の外資系企業で同僚がドイツ人、フィリピン人、スウェーデン人にロシア人とインターナショナルな彼女の職場でも、やはり多数派のフィンランド人が淡々としているそうです。とりわけ彼女の上司のフィンランド人が、ウクライナ侵攻直後に、彼女が作成したエクセルシートを修正するように細かく指示してきた時、彼女はこらえきれなかったそうです。「で、私、言ってやったの!『戦争が始まったんですよ!こんなエクセルの細部、どうだっていいじゃないの!』って」……って言っちゃったのかぁ。

高校卒業前に家に送られてきた徴兵制の案内冊子

高校卒業前に家に送られてきた徴兵制の案内冊子

私はフィンランド人の冷静沈着なところも好きですが、彼女のように感情をちゃんと出すのも人間らしくて良い、いやむしろこういう時こそ人として戦争に対して断固たる嫌悪感を示すことが大事なのではないかと思いました。私には何か、そういう感情の強さが足りない。ニュースが流れるテレビ画面と日常生活との間の乖離に違和感を覚えるだけで精一杯という感じ。このままで、私は私の大切な人達を守ることができるのだろうか。ボーっとしながらも湧いて来る潜在的な焦燥感の理由の一つには、来年1月に迫りくる長男の兵役がありました。

※本記事は、8/28(日)22:00〜22:49放送のNHK BS1スペシャル「市民が見たロシア・ウクライナ侵攻」のフィンランド編 撮影時に執筆したものです。

<b>靴家さちこ:(くつけ さちこ)</b>フィンランド在住ライター。青山学院大学文学部英米文学科を卒業後、米国系企業、ノキア・ジャパンを経て、2004年よりフィンランドへ移住。共著に『ニッポンの評判』『お手本の国のウソ』(新潮社)、『住んでみてわかった本当のフィンランド』(グラフ社)などがある。&nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp;

靴家さちこ:(くつけ さちこ)フィンランド在住ライター。青山学院大学文学部英米文学科を卒業後、米国系企業、ノキア・ジャパンを経て、2004年よりフィンランドへ移住。共著に『ニッポンの評判』『お手本の国のウソ』(新潮社)、『住んでみてわかった本当のフィンランド』(グラフ社)などがある。       

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