28.クリスマスに寄せて(vol.2)

フィンランドで初めて過ごしたクリスマスでプレゼントを笑われてしまった私。毅然として「何が可笑しいんですか?」と問い正していれば何か変わったのかもしれません。しかし咄嗟のことに私は何もできず、クリスマス翌日の元舅の誕生日パーティーでも元夫に人前でキツく当たられたのが辛くて、ついに実家に電話して泣いてしまいました。結婚して初めての家族イベントは緊張しても怖くはないはず。その考えは甘かったのでしょうか?
靴家さちこ 2021.12.24
誰でも

歌ってごまかせ

私にとってのフィンランドで初めてのクリスマスは、元夫にとっては久しぶりの故郷でのクリスマスでも、初めての外国人妻に子どもと自分の身内にも気を配る、かなりストレスフルなものだったのかもしれません。しかし身内とわいわい過ごす時間を日本に置いてきて、談笑する相手すらおらず、ただ緊張するだけの家族イベントを「楽しかった、素晴らしかった」と取りつくろえるほど私も辛抱強くなく、初めてのことでうまくできないことにまで、元夫にあからさまにイラつかれたり叱責されてみじめでした。

私に実家に泣きつかれたことがショックだったらしく、事態は元夫が結婚指輪を床に投げつけて怒るほどまでの夫婦喧嘩に発展し、こんなはずではなかったのにと、午後3時にとっぷり暮れた空を見上げました。マンションの窓から見える14階建ての高層マンション群が闇夜に放つ光が、当時姉家族が住んでいた江東区の一角のように見えました。眠くて重たい長男を腕に抱きかかえながら、私は小さく「思~ぉえばぁ、遠ぉ~くぅへ、みの~もんた♪」と歌いました。

アドベント開始とほぼ同時に窓辺に飾るろうそく型の電飾。負けず嫌いな私はアパートの中で一番を目指しています。

アドベント開始とほぼ同時に窓辺に飾るろうそく型の電飾。負けず嫌いな私はアパートの中で一番を目指しています。

体内時計との戦い

それにしても、フィンランドのクリスマスがこれほどまでに自分で自分のことを異邦人だと感じさせた要因の一つに、日本とのリズムの違いがあると思います。二十数年もかけて、私の体に染みついている12月の進行表は、12月といえば師走、クリスマスと忘年会がほぼ同時にきて、冬休み、怒涛の年賀状書きと大掃除とおせち料理の準備が同時進行して、とにかく大晦日には紅白をみて燃え尽きる。除夜の鐘がなる直前に時計仕掛けのようにコタツの中からよだれをぬぐいながら起き上がるところまで、しっかりと体の一部に刻みこまれているのです。

それがフィンランドだと、12月といえばアドベント(クリスマスが来るまでの4週間の待降節)で、11月の終わりか12月の初旬からもうクリスマスのデコレーションで家じゅうを飾り、「ピックヨウル(小さなクリスマス)」と呼ばれる忘年会に呼ばれ、クリスマスまでに届くようにクリスマスカードを送り、大掃除を済ませてからツリーを飾り、おせち料理のように何日も食べ続けるクリスマス料理もイブに間に合うように準備します。

このように、クリスマスイブに早くもクライマックスが来て、大晦日や元日はおざなりな感じで、何もかも1週間前倒しで年末に備えるプロセスは、頭で理解していても、なかなかついていけませんでした。

オーブンに入れる前に成形したピックヨウル(小さなクリスマス)によくふるまわれるヨウルトルットゥ(クリスマスタルト)。中央にのせるプラムジャムはたっぷりめが好きです。

オーブンに入れる前に成形したピックヨウル(小さなクリスマス)によくふるまわれるヨウルトルットゥ(クリスマスタルト)。中央にのせるプラムジャムはたっぷりめが好きです。

男女平等な台所?

そして同じように、子どもの頃から「男女平等」を目指していたつもりなのに、おせち料理を妻がこしらえるように、クリスマス料理も当然私主導で作るつもりでいたのも我ながら意外な落とし穴でした。

元夫が初めてのクリスマス料理を全て用意してくれたのはありがたかったのですが、その翌年には元義姉からハムの焼き方を教わって、特に話し合ったわけでもないのに、離婚するまで毎年、私がハムを焼く日は来ませんでした。ハム以外でも引き続きクリスマス料理の準備は元夫が全て仕切り、台所には失敗が許されないピリピリした空気が漂いました。

結婚するまでは「『夫が家事を手伝わない』と不満を持つ妻に限って、細かく自分のやり方にこだわってダメ出しをしたり、小回りが利き過ぎて自分で全部やってしまうんじゃないかなぁ。私はそうならないように気をつけよう」などと思っていたのですが、まさか妻の私が台所から締め出される日がくるだなんて。

ヨウルトルットゥと並んで私が子ども達と作っても良かったジンジャーブレッド。元夫から生地を薄くのばせ、薄くし過ぎるな、焦がすななどと、細かい指示が入って緊張する作業でした。

ヨウルトルットゥと並んで私が子ども達と作っても良かったジンジャーブレッド。元夫から生地を薄くのばせ、薄くし過ぎるな、焦がすななどと、細かい指示が入って緊張する作業でした。

実家が心配する季節に

クリスマスがアドベントから始まるように、元夫の不機嫌も日照時間がぐっと短くなる11月から始まるようになりました。数年暮らしているうちに、その頃には実家から孫のクリスマスプレゼントの打ち合わせと同時に「今年は大丈夫?」と母が気遣ってくれるようになりました。クリスマス料理をほとんど触らせてもらっていないことも「あなたはお料理が得意なのにねぇ」と一緒に残念がってくれたり。

その頃の私は、不機嫌はフィンランドの暗い季節に多い季節性の鬱なのかなぁと思って、明るくなる季節を待ち望んでいました。改めて太陽は偉大で、私たち人間も自然の一部なのだと身に染みたものです。男女平等の国に暮らしていながら料理は妻が仕切るべきと思っている自分が古臭いんだと自責したり、そのうち慣れて、いろいろ首尾よくクリスマスの準備ができるようになれば、私もリラックスして楽しめるようになる日が来るのではないかと淡い希望を持っていました。

変わりゆくクリスマス

毎年私たち家族のもとにやってきたクリスマスは、毎年状況に従ってその形を変えていきました。もう記憶が定かではありませんが、いつの間にかクリスマスイブは元舅も呼ばず、家族だけで過ごすようになり、3年後には次男も加わり、さらにサンタクロースが訪れるようになると、クリスマスは子ども達の笑顔のためだけに頑張れる行事になりました。特に我が家にきてくれたサンタさんは元義姉の友人で、温かくて優しいサンタさんでした。子ども達が緊張しながら心待ちにしているサンタさんに、私も癒されたものです。

左:プレゼント開封のプロ、右:プレゼント受領のプロ

左:プレゼント開封のプロ、右:プレゼント受領のプロ

次男が生まれた翌年、その翌々年に次々と義姑、義舅が亡くなり、元夫の仕事の都合で引っ越しを2回して再び首都圏に戻ってきたらサンタクロースを家に呼ぶ習慣はやめにして、プレゼントが家の中のどこかにいつの間にか置いてあって、子ども達が見つけて驚くパターンに切り替わっていました。

元夫は毎年そのことで頭がいっぱいで、あれこれ考えては私にこっそり計画を発表し、子ども達が驚喜する瞬間を心から楽しんでいました。私は、こんなに子ども達のことを思っている彼のことをとてもいい父親だと思っていました。そして、そんな彼の気合いに恐れをなして果敢に良いチームワークを発揮できない自分を責めていました。しかし、思い通りにいかないと子どもの前でも苛立ちをあらわにしたり、怒鳴ったり、睨まれたりすと気持ちがしぼんでしまうのは、どうにもできませんでした。

いつしか私は、心温まる理想のクリスマスと自分が毎年迎えているクリスマスとのギャップをハッキリと認識するようになっていました。まるで裸足で雪の上をさまよい、寒さしのぎにマッチをこすると火の向こうに私が焼いたハムやご馳走とみんなの笑顔が見えてくるような距離感を。オーブンの前で額から汗してハムを凝視する元夫に、初めの数年は「こんなに家族のためにしてくれて」と感謝の念で持ちこたえていた心も、本当につま先が冷えるほど怒鳴られれば折れてしまって、私はクリスマスが嫌いになってしまいました。

首都圏があるフィンランド南部では、近年クリスマスでも雪が降らないブラッククリスマスを迎えることがあります。ほんの粉雪でもあればクリスマス気分がぐっと盛り上がります。

首都圏があるフィンランド南部では、近年クリスマスでも雪が降らないブラッククリスマスを迎えることがあります。ほんの粉雪でもあればクリスマス気分がぐっと盛り上がります。

子ども達のために?

それにしても夫婦間にできてしまったこの溝がどこから来るのか。ピリピリと小出しに怒り続ける夫に耐えかねて怒鳴り返えせば「今年もクリスマスを台無しにするのか!」とさらに怒られ、いたたまれなくなる毎年のパターンについて、夫婦で何度か冷静に話ができたこともありました。

地雷のようにいつ何で怒られるか分からない状況は厳しいと素直にぶつけてみると、元夫は「僕は一生懸命やっているのに」から始まって「僕の子どもの頃のクリスマスなんて、父親が飲んで床に倒れていて、母親がものすごく不機嫌だった」「兄貴が母に僕が欲しがってるプレゼントはエキスパンダーだと嘘ついて、本当に包みを開けたらエキスパンダーだった時にそれで兄貴のことを思い切りぶん殴ったら、何も知らない母は僕に怒ってね」と封印した暗い過去の扉を開けるのでした。それはとても辛かったに違いないけど、だからといってなぜ私が怒鳴られる?と思ってしまった私は冷たい妻だったでしょうか。

「だからこそ子ども達には最高のクリスマスをしてあげたいんだ」「僕はお酒だって一滴も飲まない」という気持ちもわかるけど、そのために一緒にクリスマスを盛り上げるパートナーにはどんなふるまいをしてもいいとは、私には思えませんでした。夫婦で子ども達のために頑張って、つい語調がキツくなったり怒号が飛んでしまったとしても、最後に「お疲れ様」と労をねぎらいあえるのであれば、まだ踏ん張れる。ところが、暗い過去の扉が開くと、元夫はその穴に吸い込まれて1月中旬ぐらいまで、無気力、無反応。つまり、私を無視するのでした。

「最高のクリスマス」を辞めた日

雪灯りで白くライトアップされるトゥースラ教会

雪灯りで白くライトアップされるトゥースラ教会

私だけなら仕方ない、私だけのことなら我慢しようと耐え続けた10年目に、小学5年生にしてもうサンタクロースがいないことを知ってしまった長男は、私と同様、夫と一緒に次男のために「最高のクリスマスにする」役割が期待されるようになりました。

「この合図で階段を上って、床に置いてあるプレゼントの袋を見て『あれ?こんなところに何かあるぞ?』と叫べ」と元夫に出された指示に従って、プレゼントの袋を思いがけず見つけるために2階に上った長男は、すぐに袋が見つけられなかったのか、もたつき、元夫に「何やってんだ!」怒鳴られてしまいました。その翌年には特に悪いことをしたわけでもないのに「今年もクリスマスを台無しにするのか?」と怒られていました。びくっと持ち上がった長男の両肩を見た時、私は元夫が定義する「最高のクリスマス」の意味が分からなくなりました。

いつか「離婚するならクリスマスの後だろうな」と思うようになり、ついには私だけでなく中学生になった長男まで無視された年のクリスマスの後、長男に「あなたは何も悪くない」と告げ、これで終わりにしようと決めた私は離婚届を提出しました。今から5年前のことです。

1994年から2015年までの統計によると、フィンランドでは1月に提出される離婚届けが12月提出分の38%を上回るのだそうです。夏休み後の8月と並んで、1月は1年の中で最も多くの離婚届が提出される月で、前月分との差が最も顕著ですです。その理由は「幸せな家族で過ごすクリスマスへの過剰な期待」なのだそうで、なるほどまだ期待感の高い12月は動きが緩慢で、新年の決意と共に1月に、人は過去を清算しようとするのでしょうか。

離婚してからのクリスマス

窓辺に星型のランプをつるすようになってから、外から見えるうちの灯りがもっと好きになりました。

窓辺に星型のランプをつるすようになってから、外から見えるうちの灯りがもっと好きになりました。

私の期待はむしろ離婚してからの方が高く、なかなか理想に近づけないのにモヤモヤしました。まずは、フィンランドの離婚の手続き上必要な、子どもの養育の取り決め書を元夫と作成した時、子ども達が両親の家を一週間交代で住むという基本的な居住形態に加えて、休暇については、クリスマスは父親と過ごし、年末年始を母親と過ごすと決めてしまったこと。これにより、離婚後初めてのクリスマスに、次男はまだ9歳と小さく、14歳の長男も元夫の家で過ごして大丈夫なのか、私のいないところでもっと怒鳴られていやしないか、気が気ではありませんでした。

そんな私に「離婚しても子ども達のためにクリスマスイブのディナーを一緒に食べるのが、責任あるフィンランド人の大人の行為だ」といって、元夫が招待してくれた時、私は渡りに船といわんばかりに飛びつきました。ハム焼く時、子ども達大丈夫かなぁと思っていたら、ハムはもう焼いてライスしてあるものを買って食卓に並べてありました。かつてはあんなに怖かったハムも家族の解散と共に形を変えたというわけです。

他にも後遺症はあって、クリスマスツリーの飾りや、デコレーションを買う時に、知らず知らずのうちに元夫使っていた飾りと似たようなものを買いそろえてしまったり、毎年アドベントが始まると慌ててクローゼットから引っ張り出してきたフェイクのポインセチアを、同じ勢いで部屋中に飾ってしまったり、十数年に渡って染みついているクリスマスの習慣はなかなか抜けないことを思い知らされました。それが嫌で、今度は今まで飾ったことがない全く新しいタイプのデコレーションを買ってくると、それにも違和感を感じてしまったり。

クリスマスの幽霊

さらに離婚して初めての年のクリスマスディナーは一見和やかに始まったものの、結局談笑が弾むにつれ、どう話がそれたのか、元夫から離婚された恨みつらみを聞かされる会みたいになってしまいました。その翌年も引き続きそうであったので、私は離婚してもクリスマスの幽霊に追われている気分になりました。

意外にもサンタクロースの存在を長く信じ続けた次男のために、元夫と共同でプレゼントを用意する協力体制も長く続いてしまい、その気が重いクリスマスディナーを断るのはなかなか容易ではありませんでした。やがて私はクリスマスが近づくと、職場でもフィンランド人の同僚に「フィンランドでは離婚しても元家族でイブの日に食事するものなの?」と聞いて回るほど、追い詰められてきました。

しかし、私のこの地道なアンケート調査が功を奏して、元夫が主張する「離婚してもクリスマスディナーは子ども達のために一緒に食べるのが正しいフィンランド人の大人」という説は、理想的ではあれ、メジャーなものではないということがわかりました。その調査結果をもとに、一昨年も難色を示したものの、結局ふりきられ、やむなく口に入れるクリスマス料理は味がしませんでした。しつこい相手も悪いけれど、押し切られて流される自分も情けない――これ以上、自分のことが嫌いにならないためにも、相手を恨んでしまわないためにも、私はこの秋、肩から重荷を下ろすことを決めました。

次男を元夫の家に送り届けるついでに、「次男ももう中学生だから、プレゼントはサンタクロースではなく、日本の親族や私から直接あげたい」と頭の中で何度もリハーサルした言葉を口にすると、勘のいい元夫は「どうせディナーにも来たくないっていうんだろ!」と瞬時に怒りをあらわにしました。思いがけなく飛び込んできたチャンスを、私は逃しませんでした。小さく息を吸って喜びをかみ殺すと、「そうよ、来ませんから」と辛うじてはっきり返事をすることに成功した私は、慌てて次男に挨拶してその場を去りました。

左:離婚した後初めてのクリスマスツリー、中央:今年のツリー。ライトを小さくて明るいものに変え、クリスマスボールは単色に統一した。右:近所のお気に入りのカフェのツリー。国旗は独立記念日もまとめて祝えるのが良い

左:離婚した後初めてのクリスマスツリー、中央:今年のツリー。ライトを小さくて明るいものに変え、クリスマスボールは単色に統一した。右:近所のお気に入りのカフェのツリー。国旗は独立記念日もまとめて祝えるのが良い

自分探しのクリスマス

フィンランドに移住して、元夫に従い「私がしたいクリスマス」に封印してから13年。いざ自由になってみたら飾りたいデコレーションさえ定まらず、「私が本当にしてみたいクリスマス」はまるで自分探しのようでした。失われた時と自信と自分らしさを求めて、心もとない年月は修行のようにも感じていました。

特に縛られていた「クリスマスはフェスティバルじゃない」という元夫の一言から、ツリー以外に、窓や天井まで電飾をつけるのはとても勇気がいることだったのですが、去年の11月に「ええい、暗いんじゃあ!」と吹っ切れた私は、部屋中に好きなだけ電飾をつけることを自分に許しました。今はフィンランドに住んで居るけれど、アメリカでも印象深いクリスマスを体験したことがある私らしさが、電飾一つで表現することができました。

「鉢植えのポインセチアはすぐに枯れるので買わない」「アマリリスも首が折れるので買わない」枯らしやすい私は、植物にはお金をかけません。クリスマス用に赤い食器を買いそろえても場所を取るので、いつもの食器にクリスマス気分が盛り上がるペーパーナプキンを添えます。ペーパーナプキンも律儀にフィンランド風な柄ではなく、日本のお店で売っているような英国風の小さな柄にしてみたら、懐かしい日本との距離もぐっと縮まりました。

クリスマスツリーの飾りも、いつの間にか何を捨てて何を買い足したのやら、今年のツリーは我ながら見とれてしまう美しさに完成しました。一昨年、クリスマスボールをピンク一色に統一したラトビア人の友達のツリーを見てから、色の数を減らす駆け引きを学びました。凝れば凝るほど、自分を知り、自分らしさを自信もって表現できるようになってきたクリスマスを、私は今では楽しくて、好きだと感じています。

幸せの形、ハムの形

子ども達が使わなくなったサンタ帽を食卓の椅子にかけておくと、サンタクロースのお手伝いの小人が住んでいるように見えるので、クリスマス限定の飾りにしてます。

子ども達が使わなくなったサンタ帽を食卓の椅子にかけておくと、サンタクロースのお手伝いの小人が住んでいるように見えるので、クリスマス限定の飾りにしてます。

今これを書いている間に、骨なし1㎏級のクリスマスハムが焼きあがりました。イブはパパの家で食事する息子達と、我が家の食卓で25日に食べるためのハムです。ハムは後日薄く切ってラーメンの叉焼代わりにいただきます。これは何日も同じクリスマス料理を食べ続けるフィンランドの習慣にあえぐ、多くの在フィン日本人がキメている裏技です。

このように、異邦人のクリスマスには「幸せな家族で過ごすクリスマスへの過剰な期待」よりも、「さぁこの大きな豚肉の塊をもっとああやってこうやってこんな風に食べてくれようか?!」という幸せな食欲があふれているのかもしれません。幸せの形は一つではないのですね。

それでは皆さま、メリークリスマス!フィンランド語では、Hyvää joulua(ヒュヴァア・ヨウルア)です!

<b>靴家さちこ:(くつけ さちこ)</b>フィンランド在住ライター。青山学院大学文学部英米文学科を卒業後、米国系企業、ノキア・ジャパンを経て、2004年よりフィンランドへ移住。共著に『ニッポンの評判』『お手本の国のウソ』(新潮社)、『住んでみてわかった本当のフィンランド』(グラフ社)などがある。   

靴家さちこ:(くつけ さちこ)フィンランド在住ライター。青山学院大学文学部英米文学科を卒業後、米国系企業、ノキア・ジャパンを経て、2004年よりフィンランドへ移住。共著に『ニッポンの評判』『お手本の国のウソ』(新潮社)、『住んでみてわかった本当のフィンランド』(グラフ社)などがある。   

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