3.「世界一」の教育
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そもそも義務教育とは?
7カ月の長男を連れてフィンランドに移住した2004年は、ちょうどPISAでフィンランドが世界一の成績を収めた頃でした。と同時に執筆活動を始めた私は、教育の話題には事欠かない月日を重ね、学校への取材や通訳の機会にも恵まれました。PISAテストの結果以外に、フィンランドの教育が「世界一」として知られるようになった理由は、授業料も教科書も給食も何もかも「無料」であることです。無料の義務教育は、生まれや育ちに関係なく全ての生徒に教育を受ける「機会の均等」を保障しています。現在、長男は高校2年生で、次男は小学6年生。フィンランドの学校は二人の性格に合っているらしく、毎朝気持ちよく家から飛び出して行きます。
そのフィンランド教育の特色の中で印象深いものに、「義務教育の定義」があります。日本では「国民が子どもに教育を受けさせる義務」とされていますが、フィンランドでは「子ども達が勉強をする法的義務」です。この定義を知ったとき、フィンランドの教育は競争がなくのびのびしていると聞いていたので、驚きました。子ども達は特別にその“義務”を意識している様子はありませんが、長男が小学1年生の時にクラスを取材訪問し、思いがけずその本質に触れました。
国語の授業で、宿題を忘れた生徒が先生に理由を聞かれ、悪びれもせず「アイスホッケーの練習で疲れていたから」と答えた時のことでした。日頃おだやかな先生の表情がにわかに曇り、先生は生徒の顔をまっすぐ見て聞きました。「あなたの仕事は何ですか?」と。先生は「私の仕事は先生です。私もヨガを習っていますが、学校の準備は怠りませんよ!」と険しい顔でいいました。生徒は顔を赤くしてうつむいてしまいましたが、深く反省したようでした。勉強をする義務がある子ども達にとって、宿題は大事な仕事です。そのことを伝える先生の迫力と部外者がいてもありのままを見せるオープンさに、私は息をのみました。
Elina Manninen / Visit Finland
すぐれものオンラインツール
上記のエピソードはもう10年も前のことで、現在の小学校では、遅刻や宿題や教科書などの忘れ物については本人に注意する程度で、3回目になると親に通知が入るというのが一般的です。中学生はすぐに知らされます。このような保護者との連絡にはWilma(ヴィルマ)というオンラインシステムが使われ、メッセージ機能で先生と迅速に出欠席の連絡が取れ、授業態度やテストの結果、成績を見ることができます。携帯電話でも使えるので、ほぼ毎日お世話になるツールです。
8割以上が共働き家庭というフィンランドでは、朝両親が子どもより先に出勤することも多いので、子どもが遅刻したり無断欠席すればWilmaで知ることになります。学校に行くはずだった子どもが来ていないとなると、通勤中であろうが勤務中であろうが、とりあえず子どもの携帯を鳴らすのが親というもの。鳴らしても電話に出ないと、慌てて職場から自宅に駆け込んだフィンランド人ママを目撃したこともあります。この迅速な通知機能と、学校に通う義務が子ども自身にあることが功を奏しているのか、フィンランドの義務教育課程における不登校率は0.7%(2019年統計より算出)までに抑えられています(日本では平成30年度で1.7%) 。
競争を廃し、負担が少ない学校
フィンランド教育の特色として「競争が無い」という点がよく挙げられますが、小学校低学年では数字による評点はほとんど付きません。テストの結果や評点は4年生ぐらいから数字でつくようになりますが、成績は自己評価と先生からの評価を合わせてつけられ、次学期の目標も生徒自身が設定します。テストの結果や通知表をクラスメイトと見せあうこともありますが、それを禁じる先生もいれば、その程度の自然な競争はさせておく先生もいます。
フィンランドの学校は授業時間が少ないことでもよく知られていますが、小学校高学年でも12時や13時に終業する日があります。授業時間を少なめに効率よく時間割りを組むことで、生徒への負担を減らしています。フィンランドの学校には宿題が無いと報じるメディアもありますが、さすがに宿題はあります。一日一教科15分以内で済むようなものですが、宿題が無いのは休暇の前やテストの後などの特別な日です。学校行事もとても少なく、入学式や卒業式はシンプルであっさりしています。運動会も平日の昼間に済ませてしまうので、共働き家庭が週末に無理する必要がなく、離婚など家庭に事情がある子ども達にも影響はありません。
Visit Finland
のびのびでいいのか
2016年に学習指導要領が更新されたフィンランド。この10年に一度の教育改革では、プログラミング教育の義務化、英語教育の開始時期の変更(2020年1月から1年生からに引き下げ)やグループ学習の増加、筆記体の書き方の廃止など、思い切った動きが盛り込まれました。このような大改革を迎えてまだ間もないこともあり、現在のフィンランドの教育についてフィンランド人に聞くと、過去に自分たちが受けてきた教育より良い部分は 高く評価しつつも、担任の先生の人となりや指導方法に至るまで、なかなか厳しい批判が出てきます。
一方、バルト三国出身の知人や友人は「過去に自分たちが受けた厳しい旧ソ連式の教育と比べたらぬるい」とバッサリ切りつつも「でも世界的に高く評価されているのだから良いのだろう」と、おおらかです。この違いは、フィンランド語を母国語とし、より多い情報に触れているフィンランド人の方がフィンランド教育をより「自分ゴト」として捉えていることから来るようです。とはいえ、国籍はさておき、フィンランド在住の私たちは「子ども達が楽しそうに通ってさえいれば」学校教育には満足しているようです。
突きつめていくと、義務教育課程では、学校が「公共の場」として子ども達が通いきやすい場所であることが最も重要なのでしょう。フィンランドはもう70年代からの積み重ねがありますが、男女ともに働く社会では、子どもが学校に通えないという状況は、直に家庭経済に影響を及ぼします。その視点から考えると共働き社会の国では、無理せず競わせず、子ども達が通って来やすい「のびのびした学校」を目指すのは至極当然のことではないでしょうか。その当たり前でシンプルなことを形に変え行動に移すところがフィンランドらしく、地に足がついているんだなぁなどと、私などは感心してしまうわけです。
靴家さちこ:(くつけさちこ)フィンランド在住ライター。青山学院大学文学部英米文学科を卒業後、米国系企業、ノキア・ジャパンを経て、2004年よりフィンランドへ移住。共著に『ニッポンの評判』『お手本の国のウソ』(新潮社)、『住んでみてわかった本当のフィンランド』(グラフ社)などがある。
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