5.考えさせられる社会福祉
Photo: Joseph Elfatti/ Visit Finland
全ては社会保障番号から始まる
フィンランドで社会保障を受けるには、フィンランドの社会保障番号が必須です。フィンランドに移住や長期滞在する場合にはまず、最寄りの住民登録所に登録手続きをします。番号が届いたらKELA(社会保険庁)にてその番号が記載されたKELAカードを申請します。フィンランドで生まれた人は、出生届の提出をもって住民登録され、KELAで同様の手続きの後、社会保障番号が割り当てられ、その番号が刻まれたKELAカードの所持者になります。
子連れで移住してきた私の場合、まずそのKELAカードをもって長男のネウボラ(妊娠から就学前までの子どもと家族のヘルスケア機関)に検診に通い始めたことが、フィンランドで初めての社会保障体験でした。そして子どもが17歳になるまで支給される児童手当(第一子には11796円、第二子には13034円、第三子には16633円など)が銀行口座に振り込まれてくるようになりました。児童手当には親の収入による制限がありません。
長男は2歳になるまで保育園に通っていなかったので、家庭保育されている3歳までの子ども支給される「在宅育児手当」も受給しました。在宅育児手当は、42480円の基本額に対して自治体や親の経済状況によって上乗せがあります。1年近く育休を取ったら子どもを保育園に預けて職場復帰する人が多数派ではあるものの、この制度は、子どもが3歳になるまではじっくり家で子育てがしたい、あるいは子どもの発達がスムーズでないために家庭保育を余儀なくされる親たちの決断を後押ししてくれます。
Photo: Annika Söderblom / KELA
次男はフィンランドで生まれたので、妊娠してすぐにネウボラに通いました。検診も出産も無料でしたが、必須ではない超音波検査は4724円と有料で、通常医療の枠を出る処置に関しても同額ぐらい請求されました。長男も次男も発達障害の経過観察で保健センターや総合病院を利用する機会が多かったので、医療費がほぼ無料なのはありがたかったですが、医療機関も医師も、日本のように口コミで見つける選択の余地が無いことに、心細さを感じました。
北欧最大の育児ボックス
フィンランドで初めての出産を控えて私が楽しみにしていたのは、育児ボックスでした。その中には新生児から1歳までが着られる肌着に靴下にオールオーバー、おむつや玩具に絵本に、大人用の避妊具まで50点ほどが詰め込まれています。箱や服のデザインにはフィンランドデザインが多く採用されており、オシャレです。特に衣服のデザインが、ユニセックスな色柄でジェンダーフリーの思想があらわれています。また箱の中で寝具をしけばベビーベッドになる優れものなのですが、次男は箱の外が見えないのが嫌だったらしく、寝てくれませんでした。
このボックスの代わりに21135円相当の現金をもらうこともできるのですが、ほとんどの人が箱を選びます。同様の制度は他の北欧諸国にもありますが、72㎝×45㎝×27.5㎝という箱の大きさと内容の充実ぶりはフィンランドが一番なので、フィンランド人はそのことを誇りに思っています。このように、一つの命の誕生が歓迎される温かい制度ではあるのですが、2014年には1.7人だった出生率が2018年に1.4人に急降下し、2019年には1.35人とさらに低下してしまいました。人は箱のために子を産むにあらず、なのでしょう。
Photo: Jussi Hellsten /Visit Helsinki
誰も働かなくなる?
日本でフィンランドの社会福祉の話をすると多くの方がほめてくださいますが、なかには「そんなに手厚い保障があるなら誰も働かなくなるんじゃない?」と心配してくださる方もいます。確かに移住する前の私も、どれだけ頑張っても収入が増えるわけでは無いから特別なサービスをせず、不愛想に仕事をする人だらけという、共産主義的なイメージがありました。しかし実際のフィンランド人には、真面目で仕事好きな人が多いです。
フィンランドで失業手当は大きく分けて2種類あります。一つ目はいわゆる失業手当給付金で、平日一日につき4185円の基本手当に、前職の就業期間と元平均給料に応じた保障額が上乗せされたものが最長500日間支払われます。もう一つは受給期間の制限のない就職支援給付金で、平日一日につき4185円支払われます。就職や転職希望者に職業訓練が必要な場合、学費は無料で、この基本手当とほぼ同額が支払われ、そこから税金が20%天引きされます。
会社を辞めたりリストラに遭った人達の様子を見ていると、「このままでもしばらくは暮らしていけるから」などと半年ぐらいはのんきなことをいいますが、あまり長く労働市場から離れていてはまずいので就職活動を始める人が多く、転職のために勉強を始める人もいます。職業訓練校は、ほぼ全ての自治体に1つ以上あり、成人の48%が利用います。このように生涯学習の機会が充実しているため、業種変更をする人の動きは自由で大胆です。
Photo: Anton Kalland / Visit FInland
本当に「高負担」と感じるのか?
かつて、日本のテレビ番組でフィンランド人に「高い税金を払うことをどう感じているの?」とインタビューしている場面をみたことがあります。その人は「みんなの税金で困った人を救うのだから当然です」とさらりといってましたが、日常生活で見るフィンラド人が税金の話をする時は、そんなに爽やかではありません。
フィンランドの所得税は累進課税で、最低年収225万円以上からと、最高975万円以上に至るまで、4段階に分けて6%~31.25%です。特に学生が就職して給料をもらい始めた翌年や、転職や昇進で給料が上がったと思ったら同時に所得税率も上がった時など、近しい友達や同僚とコーヒーを飲みながら胸の内を吐き出します。副収入の方が所得税率が低いので、副業を探す人もいます。一方、収入に関係なく固定の地方税の平均は19.75%と、日本の2倍ほどかかります。このパーセンテージは子育て世代が家探しをするときに大きく影響します。地方税が18%もかかって住居費も高いヘルシンキよりは郊外へというのは当然の流れです。
付加価値税(消費税)は基本税率が24%、食料品・レストランは14%、書籍・医薬品・交通機関・宿泊などは10%という軽減税率が適用されます。物価も高いといわれていますが、食料品に関しては日本よりも安いものも多くあります。しかし外食、特にディナーにアルコールまで飲んでしまうとお財布が痛いです。そのような娯楽や嗜好品の面では日本より地味になりがちですが、教育費は大学院まで無料で、私立の教育施設もとても少ないのでお受験のために子ども達の学費をコツコツ積み立てるような努力は必要ありません。
Photo: Lauri Rotko / Visit Helsinki
住宅手当は賃料の高騰が激しいヘルシンキでは10人に一人が受給しています。賃貸住宅については収入に応じて最大8割支給されます。離婚で家を出ることを余儀なくされたり、親元から独立したばかりなど、ローンを組んで住居を購入するほどの経済力がない人達の強い支えです。さらにそれでも食べるに困るような状況に陥ってしまった場合には、最後の砦、生活保護があります。生活保護を受ける場合は、毎月手持ちの銀行口座の内容を全てKELAに提示することになるので、非常に大きな決断をすることになります。
このような地に足のついたセイフティーネットが幾重にも張り巡らされている高福祉社会では、高級なモノやライフスタイルを手に入れようという、ギラギラした向上心を持つ必要性はあまり感じられません。それよりも「いざとなったら何とでもなる」という思い切りというか、腹のくくりが持てるというのがこの国で暮らしている実感です。私がこの先お世話になるであろう、年金や介護のお話はまたいずれ、お話しますね。
*1ユーロ=124.33円、2020年11月25日現在
靴家さちこ:(くつけさちこ)フィンランド在住ライター。青山学院大学文学部英米文学科を卒業後、米国系企業、ノキア・ジャパンを経て、2004年よりフィンランドへ移住。共著に『ニッポンの評判』『お手本の国のウソ』(新潮社)、『住んでみてわかった本当のフィンランド』(グラフ社)などがある。
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