2.森と湖、その豊かな自然

「森と湖の国」として知られるフィンランド。その広大な森林は国土面積の75%以上を占め、湖の数も18万8000個と豊かです。しなやかな白樺やまっすぐの松、緑の針葉をまとうトウヒの木を見上げれば、寒冷な地の自然への敬意が芽生えます。ビルベリー(野生のブルーベリー)やリンゴンベリーの低木は常緑で、冬は重たい雪の下で耐え、ナナカマドが雪の下で保存した赤い実を、春には鳥がつつき、生命力の強さを見せつけます。
靴家さちこ 2020.10.14
誰でも

豊かな自然には厳しさも

(c) Natura Viva

(c) Natura Viva

 フィンランドに移住する前に知り合ったフィンランド人に「フィンランドってどんな国?」と聞くと、元夫も含めてほとんどの人が「自然しかない」「自然ならある」「自然が美しい」と答えるので、フィンランドに住むからには自然とは仲良くしなければならないのだなと思いました。かくいう私は超インドア派で、おうちが大好き。

 自然の豊かな国といえば、私には、高校生の時に交換留学で米国ノースダコタ州に住んでいた経験がありました。北緯45度の彼の地で洗礼を受けた極寒の冬は、顔面に叩きつけてくる雪に目も開けられず、髪の毛が白く凍り、まつ毛はもちろん鼻の中まで凍りつく日々でした。私は毎朝、登校しているというよりは遭難している体で学校にたどり着きました。自然は豊かであればあるほど、厳しいものでもあるのです。そんな冬を人生に一度体験したのは面白かったけれど、いざ住むとなると私の顔は引きつりました。

 初めてフィンランドに来たのは1999年11月のこと。11月はフィンランドでは「死の月」と呼ばれ、日照時間が日増しに減ってゆく陰鬱な時期で、ヘルシンキ空港に着いた15時にはもう陽が暮れかかっていました。乗り継いだバスの車窓を流れる景色は、ゴツゴツの茶や灰色の岩盤。山ならともかく、いきなり岩。再度12月に出張で来た時にはその岩が凍っており、翌年の3月にはつららが光っていました。なんだこの、見たこともない自然……。2004年の3月、私は再び、今度は7か月の長男を腕にそのゴツゴツした岩を眺めながら、元夫が運転する車で新居を目指していました。

インドア派、途方に暮れる

Jaakko Tähti / Visit Finland

Jaakko Tähti / Visit Finland

  郷に入っては郷に従え。私はフィンランドに住みさえすれば、どんな人でも森に出かけ、湖で釣りを始めると思っていました。が、どの家からでも500メートルも歩けば森に入れるとわかっていても、そういう習慣が無いので、なんとなく中心街に出て買い物をしてしまいます。湖なら行ってみたいと思えば、ケラヴァはフィンランドでも珍しい湖無し市。海なし県埼玉出身の私は、何の罰ゲームかと思いました。義姉のサマーコテージに呼ばれて初めて家族で出かけた時も、湖に浮かんだその島で、一日中何をしていればいいのかわからず、途方に暮れてしまいました。

 そういう私がいけなかったのか、2歳で保育園に通い始めた長男は、森に遠足に出かけた時、松ぼっくりが怖くて踏めなくて、ずっとつま先立ちで歩いていたそうです。保育士さんからその話を聞いたとき、これはヤバいと思いました。長男は、そうでなくても、フィンランドで生まれて初めての雪にふれた時、喜ぶどころか、怒って泣き出すなど、私のインドア派の血が濃く受け継がれているようでした。

 それでも毎日の保育園の送迎に、買い物や公園に出かけるのに、季節の移ろいを一通り親子で味わうと、とっつきにくかった自然に少しずつ親しみが持てるようになりました。白樺の黄緑の点描画のような葉が勢い良く生え始めると春の訪れを確信するようになり、白や紫のライラックの花の香りに夏の訪れを歓迎し、燃えるように紅葉したカエデの葉を見ては冬を受け入れる覚悟を決め、暗闇の中で重い雪に植物が埋もれる冬が来ると、その耐え忍ぶ姿を見て自らを励ますようになっていました。

万人が共有する自然享受権利

Photographer_Harri Tarvainen

Photographer_Harri Tarvainen

 フィンランドには、住民でも旅行者でも、万人が森や沼地を自由に散策し、きのこやベリーなどの食物の採集を楽しむ「自然享受権(フィンランド語でJokamiehen Oikeus) 」というものがあります。移住した当初は、これが意味する懐の深さが良くわかりませんでしたが、消費税が24%(食料品やレストランでの外食は14%)と高く、気軽に外食したり、料理であまり贅沢ができない暮らしをするようになってから、森の恵みが身に染みるようになりました。

 多くのフィンランド人は夏の間にバケツに何杯ものラズベリー、ビルベリー、リンゴンベリーを収穫して冷凍保存したり、いくつもの瓶に、ジャムやジュースを作ります。キノコの種類も豊富で、鮮やかな黄オレンジ色のカンタレッリ、濃いベージュのスッピロヴァルヴェロに、真っ黒なムスタトルヴィシエニなど見ているだけでも楽しげな風貌です。ニンニクや玉ねぎと一緒にバターで炒めて、クリームスープにすると、お腹がいっぱいになります。サマーコテージに行けば、湖で釣れた魚がその日のごちそう。何が釣れるかはお楽しみです。摘みたてのビルベリーで焼いたパイは、フィンランド人最高のおもてなしです。

自然との折り合いをつける

Toni Panula / Visit Finland

Toni Panula / Visit Finland

 このように、自然の恩恵をふんだんに受けているフィンランド人ですが、彼らはよく「一人になるために森へ行く」といいます。ただ黙々と歩く。あてどもなく歩く。仕事や人間関係のストレスを浄化させたり、育児で煮詰った頭を冷やすにも森に行く。「ちょっと聞いて!」と友達に電話したり、カフェに出かけたり飲みに行くのも手ですが、人はいつでも捕まるわけでは無い。そこにきて森はただそこに居て、訪れる人たちを黙って受け入れてくれるのです。

 そんな素晴らしい恩恵があるとわかってはいても、在住16年になっても、絶望的な方向音痴の私は、やはり気軽に森に入れません。そんな私を見かねて、フィンランド人の友達が連れて行ってくれる森の散歩や、キノコ狩りのありがたいことといったら。

 あの松ぼっくりを怖がっていた長男も、いつしか友達とマウンテンバイクで森を縦横し、私の知らない森をいくつも知るようになりました。フィンランド生まれの次男は大のベリー好きで、森に入ればラズベリーを探し、指先を青くしながらビルベリーを摘んで口に運びます。彼は小学4年生にして立派な商売人にもなり、森でベリーを収穫しては、私に売りつけるようになりました。時間はかかっていますが、確実にそして容赦なく、私と自然との距離は、縮まりつつあります。

靴家さちこ:(くつけ さちこ)フィンランド在住ライター。青山学院大学文学部英米文学科を卒業後、米国系企業、ノキア・ジャパンを経て、2004年よりフィンランドへ移住。共著に『ニッポンの評判』『お手本の国のウソ』(新潮社)、『住んでみてわかった本当のフィンランド』(グラフ社)などがある。

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